今すぐ観るべき映画『聲の形』の81の良さポイント
概要
これは映画『聲の形』の良さ溢れるシーンのメモ書きです。
ネタバレを含みますが、良さをすでに理解している方向けの記事なので、映画『聲の形』の良さを知らない方はここでお帰りください。
映画『聲の形』について
ここは理解している前提とし、説明しません。
感想概略
以下の点を中心に、映画での時系列順に書いていきます。
- ストーリー上の役割
- 音楽
- 映像
- 演出
全体のまとめみたいなものはありません。 良さみが深くうまくまとまらなかったので断念しましたのであしからず。
a point / of the light
朧げな一点の光が写し出される部分です。
ストーリー上、エンディングとの対比となります。
声は言うまでもなく映画のメインアイテムですが、光もまたその一つであることを暗示しています。将也がカレンダーにバツ印をつけていくシーン
将也が身の回りの整理をするシーンです。
バイトを辞め、部屋を空にし、170万円を銀行から下ろし、準備が完了します。
「お金返します」とだけ書かれた封筒ですが将也の現時点での生きる目的を表している重要なものです。将也が橋の上から飛び降りを図るシーン
将也の自殺の意思が明確になるシーンです。
手を広げて橋の上に経つシーンですが、
目が眩むほどの光
同調して音を増すBGM treの耳鳴りのような音
に圧倒されます。圧倒的パワーを感じ、芸術点が高いです。
細かいですが、このシーンで将也は手に持っているはずの筆談ノートを持っていません。 花火の音でハッと目が覚めるところでもわかりますが、飛び降りの光景は死にたいと思っていた将也の願望を形にした仮構の映像です。
ここは原作にはないシーンですが花火は死の暗示として、後の硝子の自殺を試みるシーンへの伏線となります。
4月の平日に打ち上げ花火してる馬鹿は普通いないって。将也が筆談ノートを持って歩いているシーン
水門橋をノートを持って歩いており、小学生時代の回想への導入となります。
水の波紋の映像、BGM「My Generation」とともに過去の回想へシーンが切り替わります。
君の名は。でもそうでしたが、水は「境界」として象徴的な扱いをうけることが多いですね。
映画では水の波紋が現在と過去の境界を象徴的に表していて、見ている側もわかりやすくなります。小学生時代オープニング
「My Generation」のいかにもレトロ感が過去の時代感をよく表していて非常によい。
オープニングでジャンプするアニメは名作。川への飛び込みシーン
暇を持て余す少年将也の「度胸試し」と称した川への飛び込みのシーン。
未来の将也が川に飛び込んで死のうとしたシーンと重なる。
後に例の自殺を「過去最大最強の度胸試し」としたあたり、
昔は度胸があったが今はないという風にも受け取れるようにしています。
あとヌートリアかわいい。原作から削られたシーンの小物をちゃっかり出してくるあたり芸が細かい。植野・川井とすれ違うシーン
将也たちと植野たちとがすれ違うポイントですが、将也が植野と再開する場所です。
川井はアッって気付いた表情をして、植野は知らんぷり。
でも、すれ違ったあとに振り返って将也を見てしまう植野。
このほんのすこしの映像で人間関係とかキャラクターとか描けてしまうの、やばくない?将也自宅で遊ぶシーン
川で濡れたまま帰ってきますが、硝子が汚れた姿で店にいます。
ちらっと映りこむ硝子の姿に、転校前からすでの硝子がいじめられていたことがわかります。
いや初回見ただけではわからないよ、これ…しかし良さみが深い。細かい経緯は原作参照のこと。島田と手を組み交わすシーン
手を組み交わすの友情の証し。永束くんも言ってた。
映画でこの後も何度も出てくる、「手を組む」のは手話でも「友だち」を意味する重要なもの。
実は島田ともしていたんだなあと、後で見返すと気づくシーン。転校日、教室に向かうシーン
上を向いて笑いながら教室に向かう将也、
うつむき気味でランドセルを大事そうに持ちながら教室に向かう硝子が対比的に映るシーン。
あえて硝子の顔は映さない。やっぱりメインヒロインの初登場シーンは力入るよね。硝子の自己紹介の前のシーン
シャープペンカチカチして大あくび、いかにも暇を持て余す少年という描写です。
紹介の前に植野が小突く。ここめっちゃかわいい。あんなことされてみたかった…硝子の自己紹介のシーン
BGMはinv(I.i)。ピアノの音が良いです。筆談ノートのページを開くタイミングと合っていてよい。
広瀬の不安そうな表情もまたクラスの雰囲気を表していていい。
紹介が終わると、ゲーム音楽→ラスボス登場音楽となる。
ラスボスは宇宙人のような姿をしていますが、もちろん硝子のことです。
意思疎通が上手くいかない→宇宙人というメタファー。
映画終盤の文化祭でもそういえば「宇宙喫茶」なるものをやってましたね。伏線細かすぎ。硝子のニックネームを言うシーン
硝子のニックネームは「しょうちゃん」で将也の(母から呼ばれる)それと同じ。
植野が「しょうちゃんだってー」ってからかうシーン可愛すぎ。合唱練習のシーン
初めて硝子が声を出すシーンかつ川井のウザい委員長キャラが確定する大事なシーンです。
川井さんは愛すべき委員長です。教科書朗読のシーン
いきなり「僕は悪くない」と植野が言うシーン。
朗読しているのは重松清『カレーライス』です。
映画のテーマでもあるコミュニケーションの難しさを描いた作品で、非常に示唆的。硝子が次第に孤立していくシーン
BGMでlvsが流れます。映画をとおして、BGMには多様な種類がありますが、
ショートバージョン・ロングバージョンがあるのは、lvs、van、litの3つのみ。
それだけに力が入るシーンです。
「なにを話していたのか教えてくれませんか?」と硝子が植野に筆談で問いかけますが、
あはは、と植野ははぐらかす。
植野がジャングルジムや鉄棒?の近くを仲間とウロウロしますが、
硝子だけ輪に入れず、後ろから一歩遅れて追いかけます。
原作で硝子は「何をするにも一歩遅れがちで迷惑をかけてしまう」と手紙で告白していますが、
この状況は象徴的です。
「西宮さんまたね~」と別れたあとも、植野のいた場所に行って遊具に登ろうとしますが、
すぐに降りてしまう。
「同じ場所で同じ音を聴きたい」という硝子の願い、「でもできない」という深い悲しみ、
マイナスな感情がある。あえて表情は映さず、足元しか映しません。
映画ではよくある表現。重く苦しいテーマを少しでも弱めようとしたのかなあと思ったり。硝子と将也の最初の交流シーン
「おまえ、そんなんじゃうざがられちゃうんじゃねえの」と将也がこえをかけます。
将也と硝子のファーストコンタクトのシーンです。
ここ、硝子からすればめっちゃ嬉しいところです。今まで本音で語りかけてくれる
相手なんて妹以外にいなかったんだから。
しかし、声で語りかけた将也に「友だちになりたい」と手話で返してしまったため、
コミュニケーションが成立せずすれ違ってしまう。
このコミュニケーションの不成立、物語の根幹にいます。
ああ、夕焼けの光がきれいだったなあ。手話の勉強をしましょうのシーン
BGMはinv(I.ii)。硝子の手話がフラッシュバックするがよく見えない。
植野が「ノートじゃダメなんですか」と提案する。
これもまたコミュニケーションの断絶が発生しているところ。
「わたしはノートのほうが楽」と言ってますが、直前に「ノート書いてたらまた聞きそびれた~」
と語っているあたり、この姿勢は手話もノートも私は嫌→コミュニケーションするつもりはない
と受け取れるところです。お互い必死だった、か。佐原の服ダサくねのシーン
残酷。川井、おまえ、その、その笑い声わすれんぞ…教室でラクガキのシーン
植野川井の顔が、完全に悪意の他者って感じで映像パワーが強すぎた。
花当番硝子のイメージがついたところでもある。
原作では「なんとかしてあの西宮星人に事実を伝えねば」という思いで将也がラクガキを残そうとした。
映画だとそこら辺バッサリ消えてますが。
内面は善意だが外面は悪意。
それで、硝子は内面を見て「(伝えてくれて)ありがとう」となる。
でも少し手に力がこもったチョークの音とか、細かい。
このありがとうは外面を伝えた将也にとって理解できないため、
すれ違ってしまう。そして硝子への思いはいじめという形で暴走を始めるのです…
相手のことをわかっているようで、わかっていない、そういう系エピソードは
映画でもかなり多い内容ですが、その代表例です。硝子を大声で驚かすシーン
後の補聴器を投げるシーンへつながります。
一緒に驚いている植野が可愛い。硝子へのいじめのシーン
合唱曲の軽快な音楽が流れるシーン。
補聴器を捨てる、箒で脚を引っ掛ける、上履きを捨てる、大声で驚かす、水を掛ける。
結構きついシーンですが、曲のテンポで軽減されたか、という感じ。
後の将也の「インガオーホー」につながるシーンです。耳を怪我した日の帰りのシーン
硝子の人生にとっての決定的なシーン。ここは見逃せない。
背景を見ると「よく考えて…」とかいう張り紙があったりして、一々細かい。
硝子は「ごめんなさい」と筆談ノートに書いて伝える。
→将也は「嘘つけ!文句あるなら言えよ!」という。
硝子は「あなたと友だちになりたい」と再び手話で伝える。
→将也は理解できず、筆談ノートを池の中に投げ捨てる。
硝子は筆談ノートを拾おうとするが、もう無駄だと諦めて筆談ノートをその場に捨ててしまう。
ノートを捨てるとはすなわち言葉、声を捨てる、コミュニケーションを捨てること。
硝子が捨てた筆談ノートこそがラストシーンで言われる「諦めかけてたもの」の正体。
尋常ではない感情があったと思う。
硝子に死にたいとさえ言わせたこのシーンが硝子にとっての物語の起点なんだよなあ。
硝子が池に入っていくと、唐突に視点が将也に切り替わり、回想シーンとなる。ここでも水。BGMはrev。
回想シーンが終わると将也が硝子の捨てたノートを見つける。将也断罪裁判のシーン
補聴器が高価なもの、と言われて母を思い出す将也、人間性の描き方が巧みです。
そしてクソメガネこと竹内先生の壁ドン(物理)、淡々とした声と怒声の組み合わせがやばい。母親と西宮母に謝罪に行くシーン
将也ママすごい感ね。
「明日からいい子にするんだよ、い?」←圧倒的破壊力
将也ママのイヤリングが取れているのを見て、
西宮母のビンタ力強すぎ怖…と思ってたんですが、一部意見では謝罪のために自分で引きちぎった説があるようです。まあ普通ビンタだけではとれないしね。将也の立場逆転のシーン
原作では「あれって知ってる?因果応報ってやつ」って話してるモブキャラがいて印象的です。
そして、硝子へのいじめのシーンの反復が行われます。芸術的。
原作だと植野の感情にも焦点が当てられますが、映画ではなし。
植野ほんとサブキャラになっちゃって悲しいです。
BGMはinv(I.iii)。教室で机のラクガキを消している硝子と会うシーン
美しすぎる心の交流があった…
BGMのlvs(var)は硝子と将也の最初の交流シーンBGMと対をなし、
小学生時代の彼らの最後の交流シーンとなります。
すでに声を捨てている硝子は将也に何も言えず、取っ組み合いの喧嘩になってしまう。
なにも言わず「ありがとう」「ごめんなさい」を繰り返す処世術で生きてきた硝子にとって初めての本音でのぶつかり合い、しかし、伝わらない。
ここもまた夕焼けの光がきれいなんだよなあ。硝子の転校シーン
硝子がずっと花当番、日直を押し付けられていたことが示唆される。
将也はというと、下を向いたままシャープペンカチカチをまたしてる。
これは、西宮がいない日常に戻った証し。
植野が気になって将也のほうをチラッと覗いてるので、マジ可愛いってなるところです。
転校シーンが終わると、黄色い花の映像とともに、水の波紋が出て回想シーンが終わります。手話学習教室での再会シーン
最高のシーンです。
最初顔が合ったときの、笑いかけるような、悲しいような、怒っているような、
なんとも言えない表情、良い。
硝子逃げる→将也追いかける→追いつく→手すりに手を掛ける→硝子気づく
の流れ。
再開した将也から「諦めかけていたもの」を手渡され、「友だちになれるか」と言われる。
この瞬間に硝子の救いがあり、思わず泣いてしまうわけです。
硝子視点でのこのシーンはやばい…硝子再会の次の日の朝のシーン
まず夢のシーンが入りますが、水の中にいるような雑音、
これは繰り返し出てくる。水の中は音が聞こえにくいため、聴覚障害と似たような状況が生まれる。
おそらく作中ではそれを狙ってそういうシーンをたくさん作っていると思われる。
あとマリアかわいい。
将也ママかわいい。
将也が死を覚悟で稼いだ170万円が出てきます。
あっけなく燃えて消えてしまうんですが、これは将也の生きる目的が別のものにシフトしたことを暗に示しています。将也登校シーン
将也が死のうとしたこと、中学のとき孤立したことをつらつらと独白します。
BGMはlitで、ラストシーンのBGM lit(var)のショートバージョン。
硝子再会シーンの回想が入る。回想の中の硝子がかわいすぎて死ぬ。
目がうるうるしているし、鯉の餌のパンを出すためにカーディガンのボタンを外す仕草とかやばい。将也登校シーン(校内)
先生・生徒全員の顔にバッテンマークが貼られる印象的なシーン。
BGMはbnw。
耳を塞ぐジェスチャが入り、将也も小学生以来声を失ったことを暗に示している。将也昼休みシーン
「数学のノートまだかな?」のシーン、川井の顔を一瞬視界に捉えるけどすぐに視点をずらして、
「川井の目」が映らないようにしている。相手の目を見て話せない→コミュニケーションできないという細かい表現。
飛行船が出て来るときもうつむいている。飛行船が川を泳ぐ鯉に見える。
永束くんが登場しますがまだバッテンがついたままです。
BGMはhtb。
食事シーンは所作が同調してて、コミカルです。似た者同士ってことかな?再会後1週目火曜日のシーン
手話教室で西宮結弦と会います。
結弦さんかわいすぎでは。再会後1週目火曜日の手話教室帰りシーン
永束くんと家の前で会います。
「よかったあ、(自転車を)取り返せて」で将也にとっての最初の声を聴くタイミングが訪れます。
強い耳鳴りの音とともに、バッテンがとれる良さシーンです。永束くんとの友情を深めるシーン
BGMはacc。永束をお調子者的に描いています。
フードコードで食事しているところで、将也が「友だちとは何か」と永束に尋ねます。
BGMはLaser。そして、手を組む。これが友だちだと。アホだけど最高だわこいつ。
手を組むのは友情の証し。再会後2週目火曜日のシーン
結弦さんかわいいなあ、「自分を満足させるために来てるなら帰ってください」とかグッとくる。
結弦さんに汚物を見るような目で見下されたいと100000000000回くらい思った。
永束が暴れているすきに、硝子と2週間振りに2回目の再会シーン。
BGMはint。絶妙感がある曲です。
1回目の再会では硝子が逃げたが、2回目は将也が逃げて、硝子が追いかける対称的な図になってる。水門橋飛び込みシーン
BGMはflw。硝子が「筆談ノート、ありがとう」って言う。硝子にとっては救いの象徴だが、
将也にとっては苦い思い出。将也はまだ知らない。でも不思議と二人の会話は成立する。
昔と違い、手話で話し手話で答えるというコミュニケーションが成立している。
水門橋は特別な場所なんだよなあ。
そして、ノートが川に落ちたあと硝子の飛び込む。追って将也が飛び込みノートを将也が見つける。
きれいな小学生時代の反復。水もきれいだし、芸術点が高い。
水の中の音も再び出てきます。謹慎処分中の結弦との再会シーン
寝ている結弦がかわいい。かわいさが頂点に達した。
将也が家まで運びます。これは女児誘拐では…。
あとマリアもかわいい(BGMはmawです)。
結弦が布団の中で硝子に怒られてるシーンを回想する。
怒ってる硝子はレアなので注目です。
原作では結弦が「姉ちゃんのためだとおもって」と泣き出して家を飛び出すのですが、
映画では無念のカットでした。結弦との交流シーン
雨の中歩く二人。将也が結弦に傘を差し出しますが自分でさせよと結弦は受け取らない。
そして、結弦は隠していた本音を将也に晒す。
結弦に言われた将也は拒絶感を強め、傘で視線を塞いでまた下を向いてしまう。
将也は将也なりに考えていることを話す。結弦は傘を上に上げて、視線を合わせる。
あなたをゆるします、のサイン。現実はそんな単純ではないと思うが、雨には不思議な力があるってことで。
最終的に結弦は傘を(雨が止んでいるにもかかわらず)受け取り、結弦から将也への悪意が取れたことを表現してます。
この傘の表現は原作にない良いシーン。電車で佐原に会いに行くシーン
BGMはvan。van(var)のショートバージョン。
電車の進行方向に逆向きに将也は立っており、硝子は逆に進行方向を向いています。
将也の意識は後ろ向きで硝子は前向きという暗示かな?佐原との再会シーン
「しょうちゃーん」と呼ばれて将也が反応して、音が聞こえない硝子が反応出来なくて、
足を止めた将也にぶつかってるのかわいすぎでは(良さみが深い)。植野との再会シーン
BGMはinv(II.ii/iii)。植野がチラッと見て通り過ぎる。
そういうとこ植野変わってないなー、あー猫耳最高です。ニャンニャン倶楽部のシーン
「うそっ、ほんとに来た」の植野がかわいすぎて死ぬ。
将也が自分に会いに来てくれたと思う場面です。
(合わせたい人がいて来ているとは夢にも思っていない。)
BGMに(i can) say nothingがかかっています。将也の散髪店でのBGMと同じ。
原作では永束に結構きついこと言うシーンもあるのですが、映画ではなくなってますね。結弦がネコのポーチを持っていくシーン
直前に硝子が診察の結果を聞いているシーンがあり、おそらく結果は良くないものと推察される。
硝子が泣いている?ところに結弦が訪れる。
一部意見によると、聴力低下をきっかけに将也への好意に気付いて、以降のポニーテールにつながっているらしいです。植野との再会シーン2
BGMはsig。twitterにも書きましたが、ここ最高シーンです。
自分に会いに来てくれた将也であったがなんとなくそっけない。
硝子がポーチをもっているというと、将也は自分があげたという。
「あ、そっ」がな、もうな、つらいんじゃ。その後の行動も、そんなこと聞きたくなかった、みたいな。
あえて「石田~ださくなった~」とか「せいぜい友達ごっこやってろ~」とかどう考えても、つらいのを隠して強がっているだけだし、植野の裏腹には本当に辛いものがある。
(原作ではあのあと独りで泣いている姿が将也によって目撃されている模様)ポニーテールの告白のシーン
BGMはaft。ポニーテールは耳を露出する姿勢であり、「あなたの声をききます、私は変わります」の気持ちの現われ。
そして橋へ。告白をしようとしますが、このシーンはいい。
気持ちが焦りすぎて逆にコミュニケーションが成立しなくなる状態になっています。
硝子は、自分が変わったよ、あなたにも追いつくよ、という気持ちがあり、
変わりたいから手話も使わずあえて声だけでコミュニケーションを取りますが、
将也は小学校以来耳を塞いだままなので、声が使えず手話に徹してしまう。
声と手話のコミュニケーションが成立せず、すれ違ってしまう。
すきと言っても伝わらないのは、必然であった…
これ以降硝子は髪型をもとに戻します。告白の日の夜のシーン
硝子の脚じたばたかわいい。告白の日の次の水門橋のシーン
吹き出す結弦、かわいい。遊園地のジェットコースターのシーン
佐原と将也のからみ。
前を向き怖さを克服して進んでいる佐原と下を向いて怖い過去に向き合えない将也の対比があります。
対称的な二人の描写がいい。不穏なことが起こりそうだ。島田再会のシーン
バッテンがもとに戻る。
この後の植野との掛け合いが妙。
植野「石田ってわたしと似てるよね(同じことしようとしたけど失敗したよね)」将也「似てない(似てる)」
植野「石田、私のこと嫌いっしょ」将也「たぶん(自分と似てるから)」
そして、植野の硝子と観覧車に乗るとの提案。
映画だと唐突ですが、原作だと細かい描写がある。
私が硝子と仲直りしたら、将也も自分と仲直りしろ、というもの。
めちゃくちゃだけど、植野なりの将也を思いやった結果だし、ほんと好き。
植野は将也に過去の負い目があり、今の状態の将也を変えたい、救いたいと思ってるだけなんだよね。観覧車の中のシーン
植野と硝子が話すシーン。
ここもコミュニケーションが成立していない。
筆談をしたい硝子とそれを断る植野、ちゃんと聴くとは言っているが大きな溝がある。
「私はあんたが嫌いだし、あなたも私が嫌い。似た者同士、握手しましょ。」という植野に対し、
「違います。私は私が嫌いです」と応える硝子。
植野が怒るんですが、植野が怒るタイミングってだいたい「自分もそうだから」ってパターンが多い。
植野もまた「私が嫌い」だから、期せずして似た者同士になってしまって、だから怒る。将也の過去が暴露されるシーン
BGMはpst。過去に向き合えない将也への試練です。
将也「俺も俺が嫌いだ」は硝子の発言に対応します。遊園地後の水門橋のシーン
物語のキーポイントで二人に試練が訪れます。
ここでもまた植野が怒る。川井の「わたしと違ってなおちゃんは積極的にいじめてた(から自分は悪くない)」
発言に対して「確かに違う、ただ同調してただけのあんたとはね!」と怒る。
これ、将也がいじめられていたときの植野そのものなんだよな…。原作を読めば詳細わかるけど。
植野は作中では一番物事が曇りなく見えてる。でも、うまくいかない、悲しい人物。
最終的に「俺が全部悪いんだ」と将也が場を収める。
「自分が悪い」と言いつつ人の悪口を言って回る行動は矛盾してはいますが、
全部将也にも当てはまることなので、以下は自分への悪口と思えば実は一貫している。
「植野、なんでもかんでも自分で決めつけるな」
「佐原、やめろ、また逃げて後悔するんだろ、弱虫だって」
「川井、しゃべるな、昔からお前は自分が可愛いだけなんだ」
「永束、俺のこと知りもしないくせに、味方とか言ってんじゃねえ」
植野の去り際の「私、来なきゃよかったな」は
「(石田にあんなこと言われるくらいなら)私、来なきゃ(私は)よかったな」
「(私が怒ったせいで全部裏目に出たから)私、来なきゃ(石田は)よかったな」
両方に受け取れる言葉です。素直じゃない植野、救われてほしいな…
そして事件をとめられなかった硝子はこの後声を失います。結弦とばあちゃんのシーン
橋の事件のあと、過去について知ろうとして筆談ノートを見ているところで西宮いとさんが結弦の声を掛けるシーン。
やさいいこえがいい。「ゆづは良い子だよ」は何度も聴きたい。
その後、結弦は「鳩の屍体」「血の付いた床に横たわる硝子」「モンシロチョウ」が出て来る夢を見る。
鳩の屍体は結弦の写真を表す。
横たわる硝子は硝子の死の予兆を表す伏線、
蝶は魂の象徴であり、この場合西宮いとのそれを指す伏線。結弦が川で泣いているシーン
硝子こないのかなあと待つ将也。
川に落ちるパンのかけらがハートマークで仕事が細かい。
結弦の制服かわいいし最高です。西宮いとの葬儀シーン
BGMはbtf。原作にはないが、結弦は西宮母の泣く姿を目撃します。
なかなか厳しく周りに理解されない母親ですが、こんなところに救いもあることだなあ。硝子将也の旅行シーン
BGMはvan(var)。電車で佐原に会いに行くシーンのBGMのロングバージョン。
同じように電車で出かけるシーンなのでこの音楽なのかな?
「私と一緒にいると不幸になる」は自身の生涯や境遇、橋の事件を止められなかった自分、祖母の死、
それら色々な思いがあり出た言葉だけに重い。
眩しい逆光に硝子の顔が見えなくなるが、完全に死の予兆です。将也が怪獣のバラードを歌うシーン
「人を愛したい」は将也そのものの願い。
「怪獣にもこころがある」は硝子そのもの。
「出かけよう砂漠を捨てて」は変わりたい二人そのものを表してる。
「取り返しつく気がしない」との将也の一言は後に永束が一蹴します。将也と硝子の残された日常のシーン
BGMはsus。「不幸になる」と言われた将也は抗うため、あえて明るく振る舞う良さシーン。
ここでも実はコミュニケーションが破綻している。
原作だとかなりわかりやすいのですが、将也はこのシーンで硝子に対して手話をあまり使っていません。
声で多くを語り、伝えようとするが、硝子は声を失っているため、伝わらない。
そもそも将也自身も声がでないため、コミュニケーションが全く成立しないチグハグさをよく表している。西宮母誕生日のシーン
硝子が結弦の写真を写真展に申込んだことがわかる。
懸念だった将也と母との和解の達成、懸念だった自分にかかりっきりだった結弦の今後の心配の解消、
と硝子の身辺整理が始まり、いよいよ不穏な展開となっていきます。花火大会のシーン
硝子が何もない空を見つめるシーン。これはやばい…
花火を見ている将也母、永束、佐原、植野、真柴と映像が切り替わる。
こういう同じ現実を共有する演出、いいですね。
花火が始まり、帰ると言い出した硝子を見送るところ。
将也は「またね」といいますが硝子は「ありがとう」と返します。
いつもなら、「またね」なのに、これは完全に覚悟をキメとる…硝子飛び降りのシーン
BGMはfrc。花火のSEとあいまってすごい音楽になってます。
ちゃんと玄関に硝子の補聴器がおいてあったり、病院の袋がおいてあったり、芸が細かい。
原作だと、机に引っかかって転けたときに筆談ノートが落ちるのですが、映画ではなしです。
花火とカーテンに消える浴衣の背後、映像美です。将也が落ちるシーン
BGMはinv(II.vi)。良い。似た者同士の二人の運命は一つなんだ。
映画のもう一つのテーマである「将也が生き直す」話を考えると、将也はここで一度死んだと思うべき。
水のなかでうずくまる将也の姿は、胎内の中の胎児の姿を想起させるあからさまな表現。病院駐車場のシーン
BGMはqut。暴力の神こと植野が真骨頂を魅せます。
めっちゃ怒っています。「おまえみたいな自分の頭の中でしか物事を考えられねえやつか一番嫌いなんだよ!」
とのことですが、これもまた…何でもかんでも決めつけるなという将也発言の繰り返しです。
この発言は映画オリジナル。制作陣の植野への愛の深さが凄い。
そして硝子から将也母への謝罪シーン。これも映画オリジナル。
音楽が煽ってきます。佐原や結弦が出てこなかったのはちょっと残念です。病院から家に帰り写真を剥がすシーン
結弦が屍体写真を取り続けてきた真意が判明する。
病院のシーン以後、硝子は髪を後ろに纏め、耳を露出します。
ずっと人の後ろを歩いてきた硝子が前に立ち、硝子を後ろから眺める結弦。
良さがある。後の結弦の学校復帰につながっていく。硝子の見舞いシーン
BGMはsvg。永束と会い、硝子は今まで知らなかった将也と永束の馴れ初めを知ります。
自分が、将也が壊してしまった将也のたいせつなものを知り、それを取り戻したいと願い、
独り立ち上がる。一歩前に進み、将也の声を取り戻す旅に出る、物語が大きく動くシーンだ。
そして硝子は先に声を取り戻す。良さしかない。硝子と川井の和解シーン
川井の救いにもなるシーン。
「つらいことがあっても、自分を愛して進むしかないのよ」は
お前にしか言えないがお前が言うなよっていう、しかし分からない人はいないだろうという良さがあふれる。
真柴くんは映画では空気です。硝子と佐原の和解シーン
佐原の「わたしは変われなかった」に対し「これから変わる」と返す。救いだ。硝子と植野の和解シーン
無視しようとする植野を繰り返し待つ。
そして、雨と傘、将也・結弦和解シーンの繰り返しです。救いはいずれ訪れる。硝子と将也の夢のシーン
左右の耳で、それぞれ、耳鳴りの音(硝子の音)と水の中の音(将也の音)が流れる。
二人が同じ夢を見ていることを表す表現がすごい。
なぜ同じ夢を見てしまったのは、わかりませんが、同じような二人だから起きた奇跡ということで。
ここで、二人はお互いの気持ちを知る。
将也が死にたいと思っていたこと、硝子はこのとき初めて将也の苦しみの根源にたどり着くわけです。
そして、「火曜日が終わる」と消える少年将也。
目覚めて向かう先は一つしかない…
(映画だと「火曜日が終わる」のときの将也が立っている場所は手話教室の前で、原作は水門橋の上に設定されています。なんでやろか)水門橋の再会シーン
BGMはslt。先につく硝子。鯉が一匹で泳いでいますが、硝子の姿そのもの。
水門橋についても誰もいない。もう泣くしかないでしょう。
一歩遅れてたどり着く将也が手すりに手をかけて、振動が伝わり硝子が気付く。
将也と硝子の手話教室での再会シーンの繰り返しです。「生きるのを手伝って欲しい」のシーン
友だちの手話の繰り返し。良さしかない。将也復活シーン
マリアかわいい。「しょうちゃんはね、生き返ったんだよ~」と将也ママが言いますがそのままの意です。
自宅の前で植野と会います。
実は原作ではこの植野との会話のシーンが植野の救いとなった場所ですが、映画ではすこしずらしてきました。
この和解シーンは良い。将也ママ西宮母和解シーン
自宅で将也ママが西宮母の髪を切っています。
ちゃんとサブキャラにも救いを持ってくるあたり、良い。結弦救学校復帰のシーン
結弦が学校に復帰したことがわかる。
硝子の自立、硝子依存からの解放が受け取れる。
直後に飛び立つ2羽の鳥の写真を取るカットが挟まり、
結弦が硝子の呪いから完全に断ち切られたことがわかる。あの短いカットですべてを物語る感じはすごい。
結弦にとっての救いです。文化祭登校シーン
聴覚障害のある硝子が将也を先導する姿がちぐはぐで良い。
実際、硝子は先に声を取り戻しているので、この時点においてはむしろ将也のほうが耳が聞こえないのだから、
状況を正しく描写しているとも言える。にしても二人がかわいい。文化祭3-B突入シーン
将也のクラス3-Bは宇宙喫茶をやっています。
音楽には、将也と永束が親友となった場所のフードコードと同じ音楽Laserが流れます。
メッセージ性が深すぎる。文化祭トイレでのシーン
ここ、最高シーンです。
永束が「やーしょー、なんで下向いてるの」と問いかける。
そして「やーしょー…、石田くん!」の声。
「石田くん」と言ったのは、また一から友だちになるの意。
そして将也が振り向くと泣き出す。「橋の上でのことは気にするな」と。
そして手を組み交わし、座っている将也を引っ張り上げる。親友のポーズです。お前最高かよ…文化祭トイレを出た廊下のシーン
橋での和解が達成されるシーン。
川井が眼鏡をしているところもポイント。
そして、植野の「ハーカ」の手話。植野と硝子の和解であり、映画オリジナルの植野にとっての救いのシーンです。
照れる植野かわいいし最高。将也が声を取り戻すシーン
BGMはlit(var)。
言うまでもなく最高のシーンです。
ZFCはじめてみるの巻2
順序対の定義。 結構きつかったのでコメントもなしにガリガリ書いていた。もっときれいなやり方があるはず。
相変わらず、ComprehensionとかReplacementは先送りにしていますがどうなることか。
ZFCはじめてみるの巻
コメントなしコードだけ。 0 /= { 0 } の証明が一応出来ました。
ssrnat 練習
今度はソフトウェアの基礎の演習問題.
cf. ソフトウェアの基礎
rewriteするときに, 右分配律mulSnrを使っています。 ------>> Ssreflect.ssrnatのMultiplication.にあるLemmaから.
牛刀振り回してる感じありますが、一応証明です。
ssreflect始めました.
ssrboolの練習。とりあえずソフトウェアの基礎とか見ながらやってます。 ssreflectっぽくないですが、そのうちrewriteとかガリガリ使っていきたいです。
覚書
覚書です
hoge.htmlからhtmlへのリンクファイル一覧を取り出すコード
$htm = cat hoge.html -Raw -Encoding UTF8 $regex = "<\s*a\s*[^>]*?href\s*=\s*[`"']*([^`"'>]+)[^>]*?>" $pat = $htm | select-string -pattern $regex -AllMatches $pat.matches | %{$_.groups[1].value} | select-string "htm"
てかここに載ってる。 [PowerShell] Web ページ上のリンク URL を抜き出す - Shigeya Tanabe's blog - Site Home - TechNet Blogs
リンク切れしてないか、みたいなことが気になる場合はこれにTest-Pathをパイプでつなげばよさげか。
master thesis
毎々お世話になっております。
修論:"Rigid ω_1 Trees and Their Preservation"
です、ご確認頂きたく。
と冗談はほどほどにしまして、修論です。 コピペはしてないです。あと英語が残念な点に関しては勘弁下さい。
あと、修論書いたあとに気付いた、というか確認した事実に関して重要なお知らせがあります。 ということで以下
新証明:"About the proposition that UBP tree is preserved by Knaster forcings"
なんか自分で証明した問題を再証明するの、バカバカしいですが、このほうが明らかに簡単だったので、一応。 これでほんと最後。
あとここに書いてあるようなことが集合論の最先端とかそんな馬鹿な話はないのでご注意を。 わたしは、なんか、泣きたいです、こんなクソみたいな論文というか結果しか残せなくて。 同じ分野の研究者各位に申し訳が立たない。 もっとすごいんだ、彼らは、本当にすごいんだ。 だからこれを見た君たちは、ああこの分野はこんなワケワカンないこんなショボいことやってるんだ、とか決して思ってはいけない。 深淵を見よ、宇宙を見つめよ、真実を見つけるんだ、若者よ。
集合論の宇宙は言うまでもなく途方もない。